あっきーブログ

じいちゃん物語#1

OHANA.jpg

この景色は、数年前、

まだ祖父が元気だったころに佐渡島の海岸線をドライブしていた時に見つけたお花畑です。





我が家が介護で大変だと、いつか書いたことがありましたが、、、



2009年6月2日に、祖父・佐々木智敏(ちとし)が逝去しました。


享年98歳でした。


介護は大変でした。
最後は寝たきりとなり、口からも食べれなくなりました。

特にうちの母が大変でした。

でも、、、、、、、、

母も含め、家族みんなの願いは、「100歳まで行って欲しかったなあ」というのが本音でした。





でも、ここまで長生き出来たんだから、、、





大往生です。






































ここでいつもの調子に戻ろうか。





そう!








これこそ!!!







DAI OH JOH!!!









とか書いたら不謹慎と思われるかもしれないけど、、、






実は!!!




こういうおいどんの少々オーバーな表現形式は、




すべてこのめっちゃ偉大なる祖父からの隔世遺伝によるものなのである。











1のことを10倍にして人に面白おかしく伝えることが大好きな人だった。





おいどんは幼少時、夏休みになると毎年、従兄弟と一緒に佐渡島の祖父のところへ預けられたのだ。




そうすると、、、




毎年毎年、




毎晩毎晩、




毎度毎度、



「あきーろぉ!おじいちゃんはなぁ、昔、スゴかったんだっちゃどぉ!!」



という、佐渡弁による「オレすごい話!!!」が延々と続くのである笑。




おいどんたち佐々木家の間で、永遠に語り継がれるであろう、

ほんとにすんごいおじいちゃんだったので、

このブログを読んでくれているみんなに紹介しましょう!





そして、このじいちゃん伝説を読むと、、、おいどんのことがよりわかるかも???笑。






じっちゃんは、大正生まれ。

生まれたのは北海道だが、小学校5年で故郷の佐渡島へ飛ばされる。

そう。

親元からいきなし飛ばされたのである!!!

我々佐々木家のルーツは佐渡島で、じっちゃんの両親は佐渡島から北海道の釜谷というところへ行ってちっちゃい小学校の校長先生をやっていたのだそうだ。
そこでいわゆる丁稚奉公というやつなのか、なんなのかわからんが、とにかく次男であるじっちゃんが、故郷の佐渡島へ飛ばされたのである。

いきなしちっちゃな島の親戚の家に預けられ、、、佐渡島で青年となったじっちゃんにはひとつの夢があった。



それは、「映画監督」になること!!!



なので、日大の芸術学部を受験した。




しかし、当時は食糧難の時代。


主食がさつまいもとかそんなんだったのだ。



冷蔵庫なんてないから、裏の山に横穴をあけて涼しいところに保存しとくとか、そういう時代だ。

ステーキなんて食べた事もない。銀色の米もめったに食えない。



ほんとにそういう時代だったのだそうだ。




勉強熱心だったじいちゃんはいろんな書物を読んでこう考えたそうだ。




「これからの日本人には、栄養が必要だ!」と。





「映画」より「栄養」だったのである。






そこでさんざん悩んだ末、日大芸術学部をやめ、
のちに日大と合併することになる日本獣医専門学校へ入学した。



卒業して獣医師の資格を得ると、北海道の雪印乳業へ就職。



そのとき、すでに日本は太平洋戦争に突入していた。


獣医師なので戦役を免れ、乳牛の研究に没頭しているところに、

お国から「中国大陸での乳牛の技術指導」という指令が下る。

そこで佐渡の名家の生まれのばあちゃんと結婚し、大陸へ渡ったのであった。

ばあちゃんに「よく中国へ付いて行ったねえ」と聞いてみたところ、



当時は「大陸の花嫁」というキャッチフレーズがあって、


「大陸で働く男」というのはカッコよかったんだそうだ。。。


すごい時代だったんだなあ。。。




当時、もちろん飛行機などない。


神戸まで汽車で行って、港から普通に「船」!!!



そう!!!



FU NET!!!




すごい話しだよねえ。。。





船で三日かかって青島(チンタオ)へ、そして馬車で山東省へ。





ここで歴史の勉強だ。


日本は「対華21ヶ条要求」を中国へ突きつけ、山東省の権益は日本が引き継ぎ、

青島は日本軍が統治していた時代だったのだ。



傀儡国家「満州国」を作り上げ、、、

そして太平洋戦争へと突入してゆく。。。








じいちゃんは戦争の是非について、多くは語らなかった。

じいちゃんは、あくまでも乳牛の専門家。

「人間の暮らしを豊かにする、家畜の正しい飼育方法の指導者」だったのだ。



でも、ひとつだけ、言っていた事がある。



当時、日本人は中国の人たちをバカにしていた。

同じ獣医師として中国へ渡った同僚のうちでも、中国人に対してずっと差別的な態度をとっていた人間がいた。

終戦と同時に、日本人には帰国命令が下されたが、

中国人に対して差別的態度をしていたその同僚は、そのどさくさのときに殺されたらしい。




うちのじいちゃんは自分がいかにすごい男か大ホラは吹くが、人の悪口は決して言わない人だった。




終戦のどさくさの帰国のときに、



ある中国人の友達が、



「佐々木さん、こっちだ!こっちアルよ!」



と言って逃げ道を教えてくれて助けてくれたのだそうだ。。。




女房と小さな子供3人(おいどんのオヤジ含む)を抱えて、
命からがら大陸から引き上げてきた。。。

あと、「蒋介石はオラっちが日本に引き返すときに守ってくれただ!」といつも感謝していた。

歴史的にみると蒋介石さんはいろいろな評価があるようだが、じいちゃんはとても好意的に評価していたようだ。



っていうか、じいちゃん物語になっちゃったなあ。。。


続く!!!






  1. 2009/06/08(月) |
  2. 日記

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