はやいもので、もう四月も終わりです。
そう!
ついに!
来ました!
5月です!
そう!
待ちに待った!!!
HAMAMATU!!!
ちびらりらしい、、、
めっちゃ熱いライヴにしたい!!!
とにかく・・・
もう純粋に、
みんなと一緒に、、、
心から音楽を楽しみたい!!!
もう・・・それだけですだーーー!!!
そんな、
熱い想いを込めて、
AKKKIこと、
わたくし、
ささきあきひろの、、、
2011年の
最新の、、、
「公式アーティスト写真」を公開いたします!!!

どーーーぅですか、この凛としたたたずまい・・・笑。
コイツの後ろに立ったら大至急ライフルで撃たれそうですな笑。
ちなみに、、、
これ、
先日、鉄拳仲間と久しぶりに飲んでて、
「オモロイからこれかけて写真とろーぜ!」ってなって、
「そういえば、あの佐渡高校の記事は面白かったよー♪」
って言われた瞬間の微妙な表情です・・・笑。
- 2011/04/28(木) |
- 日記
-
2月にライヴやって以来、久しぶりに大塚れっどぞーんに行って来たどー!

節電のため、エンゼルフィッシュの水槽の明かりは消えてました。。。
今回はバンド仲間の大ちゃんのライブだったのだ。
大ちゃんは以前、このブログでも紹介したことがあったね。
この男です!
(お食事中の方失礼します)

去年8月の轟音玉手箱にも来てくれてたのよー!
キャッチフレーズは
「埼玉が生んでしまった孤高のロックヴォーカリスト。DAISUKE!!!」
彼のオリジナリティはなんといっても、
ちょっと前に流行った、倖田來未の「エロかっこいい」に対抗して、
「 キ モ か っ こ 悪 い 」
という、、、
前人未到の全く新しいジャンルを、、、
たった一人で開拓してらっしゃるお方なのである!!!
ゆえに我々は彼の事を敬意を表して「孤高のロックボーカリスト」とお呼びしているのである!!!
なのだが、、、
1年前、持病のヘルニアが悪化してしまって、ついには歩行困難にまでなってしまい、
骨を削ってボルトで固定するというものすごい大手術を受け、、、
懸命にリハビリを重ねて、ついに奇跡の復活を遂げてステージに帰って来たのだ。
そういえばあのとき・・・
手術後に、ASTRALのボーカルのチハヤ君とお見舞いに行ったんだけどね。
ダイスケから病院の名前しか聞いてなくて、、、オレたちバカだから何も考えずにおしかけちゃったのよ。
埼玉のすっごい大きな病院だったんだけどね、
で、受付のオネーサンに、面会の申し込み手続きをしようとした・・・
そのとき!!!
「おいチハヤ、、、そういえば・・・・・・・・・・ダイスケって・・・名字なんだっけ???」
という話になり笑。
だってほら、ライヴハウスと飲み屋でしか会ってないから、意外とバンドマン同士って名字を聞いてなかったりするんだよね。
「えっ・・・アッキー知らないのか?・・・・」
「オレは知らねーよ・・・」
「うーん。。。山田とか・・・」
「鈴木さんかもしんねーぞ・・・」
「田中かなぁ・・・・」
「斎藤っていう感じもするな・・・」
ってそんなこと言ってても仕方がないので。。。笑。
ダメもとで・・・
受付のオネーサンさんに・・・
「あの・・・先日ヘルニアの手術をした、、、長髪のバンドマンで、ダイスケという名前のヤツなんですけど・・・」って言ったら、
「ああ・・・中島さんですね!!!」
さすが大ちゃん・・・愛の伝導師・・・
カワイイ看護婦さんに声をかけまくっていたに違いない・・・笑。
そんなお人なのである。。。
で、
ついにご対面!!!
そしたら、、、
まるでエヴァンゲリオンのように、、、
背中からドレインチューブをぶらさげて、ベッドに横になっていた。。。
あああなんという姿・・・
全身麻酔の大手術を終え、、、
さぞかし衰弱してることだろう、、、
と思ったら、、、
開口一番・・・
「ふふふ。昨日から看護婦に、一日三回の座薬を入れさせてるんですよ(ニヤリ)」
と半笑いで言い放ったのだからやはりこの男タダモノではない!!
座薬を「入れられてる」のではなく、「入れさせている」というのが、彼のプレイの一環なのである!!!笑。
「今日はどの看護婦さんが入れてくれるのか・・・毎日楽しみなんスよ♪」
だいちゃん、おそるべし!!!
座薬を入れられるという、ある種、、、常人にはちょっと受け入れがたい屈辱を、
果てしないポジティヴシンキングによって、「明日へのエネルギー」へと変える男なのである!!!
大ちゃん曰く、、、
「若くてカワイイ看護婦さんは、すっごいドキドキするんですが、あまり上手くなくて・・・入れるときちょっと痛いんですよ。。。でも逆にオバちゃんは、もちろん嬉しくはないんですが、でも・・・スーッと入って、とっても上手いんですよぉ。」
とのことです。。。
その他にもいっぱいいっぱい座薬のお話しを聞かせてくれて・・・
そのお見舞いは、、、ずーーーっと「座薬」の話しだけで終わったのであった。。。笑。
というわけで我々は彼の事を
「 座 薬 王 」
と呼ばせていただくことにした。。。
まあ冗談はともかく、
ちょっと面白おかしく書いちゃったけど、、、
本当に、、、また歩けるようになるかどうかわからないくらい、
とても大変な手術だったみたい。。。
「もうステージで立って歌を歌えないかもしれない・・・」っていう、、、
彼にとって本当に本当に恐怖なことと戦って、、、、
死ぬ気でリハビリ頑張って、、、
なんとかステージに帰って来たのだ!!!
そんな素敵な大ちゃんが、
「アキさん、曲作ったんで・・・ぜひ聞いてください!」
ってメールが来たんで、YOUTUBEにアップしたというのを聞いてみた。
貼付けるぜ!
これだ!
聞いてみたら、、、
おお!
大ちゃん、、、
この曲、、、
感じるよ。。。
うん。
感じる!!!
すげーーー良い曲じゃねえか!!!
こういうピュアな曲、、、書くんだな。。。
そうか。。。
大ちゃんなりに書き上げた復興支援ソングなのか。。。
あんた、、、
いろんな経験して、、、
すげー表現のレベルがアップしちゃったんじゃねーの???ってびっくりした。。。
というわけで、、、
大塚でアコースティックでライヴやるっていうから、大至急見に行って来たのよ!!!
とーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっても良かったよー!!!
でも大ちゃん、もう少しギターのリズムの練習しようね。。。笑。
同じくバンド仲間のRyoくんとも、久しぶりにゆっくり話せてよかったぁ。
友達が「良い曲」作ったら、、、やっぱ素直に嬉しいよね!!!
自分も「良い曲」書きたい!って、おおいにシゲキを受けました。
おいどんもがんばりますだーーー!!!
大ちゃんのブログ
http://ameblo.jp/madbal3/
- 2011/04/25(月) |
- 日記
-
お通夜やお葬式にはその地域や家の宗派等によって様々な習わしがあるようですが、
今回のお通夜と葬式では、生前おばあちゃんとおつきあいのあったご近所の人がたくさん集まってくださって、
「南無阿弥陀仏」を何度も何度も唱え続けてもらいました。
お坊さんが念仏を唱え、親族である自分たちは棺にお花を入れたり、くぎを打ったり、いろいろしなくてはならないのですが、その間ずっと正座してチンチンカンカンと金モノを叩きながら「南無阿弥陀仏」を一時間ちかく、ひたすら唱えていただくのです。
仏教の詳しいことはわかりませんが、とにかくそういう習わしみたいです。
そのご近所の方々の中に、一人、おいどんと同じくらい、ちょっと・・・髪の毛が長いオニーサンがいました。
おそらく自分より少し年上に見えますが、、、
正座して背をかがめて・・・チンチンカンカンと叩きながら、
一生懸命「南無阿弥陀仏」を唱えてくださいました。
でも・・・そのヘアースタイルから、、、なんとなく浮いた存在。
(っていうかまあ、自分も・・・人の事言えないどころか一番浮いちゃってるような気も・・・汗)
で、
そのオニーサン。
ちらっとお顔を拝見したところ、、、
鋭い眼光。
オーラを感じます。
ビビッときました。
ニオイでわかります。
この人はロックだ!おいどんは確信しました!
お通夜の後、お食事の席で、このオニーサンはいとこたちと楽しく談笑してました。
いとこたち、すなわち、母の兄の子供たちは、男二人で自分と同年代なのですが、
二人ともまだ独身で自分同様フラフラしております笑。
なんだかみんなで楽しそうにお話してるなあ。。。
おいどんも合流したいなあと思ったのですが、、、
初めてお会いする遠い親戚の方々から、
「チミは一体どんなお仕事を???」
と軽くインタビューを受けていたものですから、なかなか動けませんでした笑。
というわけで、ひととおりご挨拶をすませた後、
満を持してそのオニーサンとイトコたちが盛り上がっているところにビール瓶をもって突撃です!!!
「大変お世話になりました!ありがとうございました!」
というわけで、ものすごい勢いでビールをぐいぐいついで、
ま あ ま あ ま あ ま あ
ど ぞ ど ぞ ど ぞ ど ぞ
ぐ び ぐ び ぐ び ぐ び
(以下繰り返し)
ビールはもういいだろということになり、
行きますか?
行かれますか?
というわけで、新潟県が世界に誇る!
「ポン酒(日本酒)」に行かせていただきまして、、、
で
ま あ ま あ ま あ ま あ
ど ぞ ど ぞ ど ぞ ど ぞ
ぐ び ぐ び ぐ び ぐ び
(以下繰り返し)
そんな感じで・・・
ものすごい勢いで飲みまくって・・・
ものすごい勢いで大盛り上がりでワイワイお話させていただきまして、、、
最終的には・・・
「アニキ!」
と呼ばせていただく関係になりました笑。
そう!
A N I K I
アニキは間違いなくロックの人でした!
昔バンドをやっていて、なんと!!!
あの甲斐バンドの前座をやったこともあるのだとか!!!
しかも!!!
話しを聞いて行くと、、、
さらに衝撃の事実が!!!
なんと、、、
群馬ではBOOWYと普通に対バンしていたという衝撃の事実が発覚!!!
ひょええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ
「
あっきー物語」にも書きましたが、おいどんがギターを始めたきっかけはBOOWYなのです!!!
普通に対バンって、、、普通に意味がわかりません!!!
そんなすっげえアニキが佐渡島にいたとは!!!
大至急「ひかえおろう!!!」でございます。。。
オレと同年代のイトコたちもびっくり!!!
しばしご歓談タイムが炸裂いたしました。。。
そして、
最終的にアニキから、
おいどんたち「うだつのあがらない後輩たち」へ、
そう!
U D A T U
のさっぱりあがらない・・・
オレたちへ・・・
大変ありがたい、
「励ましのお言葉」をいただきましたので、この場をお借りしてご紹介させていただきたいと思います。
「おい、オマエたち!」
「はい!」
「ところで子供は何人いるんだい?」
「えっ?」
「子供はまだいないのかい?」
「すいません・・・実は自分ら、、、まだ結婚もしておりません・・・汗。。。」
「なにぃバカヤロウ!」
「す・・・すいません・・・」
「オレはなぁ、佐渡から若いモンがどんどん減って過疎化してっからよ、
よっしゃそれならオレが作ってやるっつって、
とりあえず子供4人作ったんだよ!!!
金はねえけどなあ!!!ハッハッハーーーーーーーーー!!!オマエらも早く子供つくれーーーー!!!」
アニキ・・・
カッコよすぎっす。。。
オレら全員・・・大至急!!!スライディング土下座ッス!!!涙。。。
というわけで・・・
佐渡島に、、、すんごいロックンローラーがいることが発覚いたしました。。。
オレたち・・・アニキみたいなデカイ男になれないかもしれないけど・・・
アニキのデッカイ背中追っかけて頑張りますだーーー!!!
- 2011/04/15(金) |
- 日記
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まだまだ震災の余震が続く予断を許さない状況ですが、、、
母方の祖母が亡くなりました。
佐渡高校の記事を書いたばかりなのに・・・佐渡に行く事になるとは思いませんでした。
去年まではすごく元気だったのですが、去年末に倒れてからはずっと介護状態でした。
89歳でしたので、大往生です。
母方のおじいちゃんは15年前に亡くなってるので、やっとおじいちゃんが待ってるところへ旅立ちました。
おばあちゃんは控えめな、自律心の強い人でした。
人の悪口やわがままを言ってるのを聞いたことがありません。
昭和初期、ちょうど今、井上真央ちゃんが朝の連ドラやってるけど、ほんとにあの時代の女性ですね。
おばあちゃんは佐渡の農家に生まれて佐渡の農家に嫁いでやがて長男が生まれたのですが、
やがて日本は太平洋戦争に突入しました。
召集令状が来て、夫は陸軍兵として出兵したのですが、フィリピン沖で輸送船が撃沈されたと聞いています。
幼い男の子ひとりを残して未亡人になってしまった。
そして、当時はよくあったことみたいなんですが、戦死した夫の弟と再婚したのです。
当時は女の人が一人で稼いで子供を養っていくなんて出来ない時代だったみたいです。
子供を守るために、家を守るために、他の選択肢はなかったんだと思います。
当時はそういうことは、親が決める事に従うのが当然だったみたいです。
そして元亭主の弟との間に出来た子供が、自分の母です。
その再婚した弟、つまり自分のおじいちゃんになるわけですが、おじいちゃんもまた、戦争によって人生が変わってしまった人でした。
次男なので東京へ行って親戚が経営するミシンメーカーに就職していたんですが、東京大空襲で跡形もなく焼けてしまったそうです。
そして、兄が戦死したので自分が跡取りとして家を継がなくてはならない。
佐渡を飛び出して東京で勝負してみたい、という自分の夢をあきらめなくてはいけなかったみたいです。
戦争で、いろんな人の人生が変わってしまった。
自分にとって、太平洋戦争は、決して他人事ではないことなんです。
結果論になりますが、あの戦争がなかったら、母もいないし、ということは、もちろん自分もここにいないわけなんですね。
だから、おじいちゃんとおばあちゃんが運命に負けず、一生懸命生きてくれたから、今、ここに自分が生きていられるのです。
おばあちゃんに、ありがとうって言ってきました。
今、日本は震災で大変な時代ですが、、、
それでも、自分たちには「自由」があります。
今は、自分で自分の職業を自由に選べるし、結婚相手を選ぶのも、する、しないも自由。
まあ、なにもかも全部とは言えないかもしれないけど、
少なくともおじいちゃんやおばあちゃんの時代よりは、いろんな意味で「自由」ですよね。
極端な話、今の日本の生活の全てを捨てて、
海外に行ってゼロから人生やりなおすことだって不可能じゃないと思います。
自分の生き方を自分で選べる。自分の責任で。
これは、本当にありがたいことですよね。
そして、このありがたい状況は、おじいちゃんおばあちゃんの世代と自分の両親の世代が作ってくれたものです。
戦後の苦しい状況から、今の日本を作ってくれたんです。
それに甘えすぎてしまってはいけないなあと、、、
今回、あらためて考えてしまいました。。。
せっかく与えてもらった自由なのに、感謝の気持ちを忘れてただただ毎日を浪費している今の自分・・・
ほんとにあまりのダメダメっぷりに、我ながら泣けてきました。。。
こんな自分じゃご先祖様に申し訳ないっす。。。
自分なりに、自分の夢に向かって、、、もっともっと頑張ります!!!
そして、この大震災や原発事故という運命にも負けず、
みんなで力を合わせて必ず復興して、もっともっと良い日本にして次の世代に伝えなくては!!!
それが今の自分たちの世代の「宿命」なのだと思いました。
「あのとき、おじいちゃんと、おばあちゃんたちが頑張ってくれたから、、、今のハッピーな日本があるんだね!」って、、、
未来の子供達に言ってもらえるように、、、
みんなで力をあわせて頑張りましょう!!!
- 2011/04/12(火) |
- 日記
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